【DBDにおける貴族の社会的立ち居地にあんまり関係のない考察】 1.特殊称号  アゼルハイト王国の一部の(または全ての)ノーブルの所持している階級的な呼称の一つとして、「位(イ)・家(ケ)」 が存在する。  これは世界が邪悪動乱に包まれていた時代に国王への貢献せしめた家柄や個人に与えられた一種の名誉称号である。  大きくは、下から「小中高陣」の4つの家に分けられ、その中からさらに上から第壱〜第十の位に分別され、一般的には「第○位△家」のようには呼ばれず、位を省いた形で呼称される(公式の場では△家○位、と呼ぶこともあるが、現代ではその機会もマレだ。)  称号そのものがステータスシンボルであったため、例え第十小家であろうとも民衆からの尊敬と敬意と羨望の的であった。  ただし、これは100や200の年月を経た過去の話なのである。 シキタリとしては残ってはいるものの、事実的な権能もほぼ残ってはおらず、現代では実力をもって示すことで一部の市民の敬意を得ているに過ぎない。 2.軍縮と制度解体  派生する話題として、市民とノーブルの交わりも解説せねばなるまい。  激しい戦いの歴史は既に終わりを告げており、世界のいかなる国も市民が主役へと台頭していく中で、国家は軍縮を余儀なくされ、同時に多くの家もまた、解体・縮小されていった。 (このときに最も実体を失った高・陣家の半数は、皮肉なことにも最も活躍していた軍閥達であった。)  君のPCがもしも階級を誇るようなPCであるならば周囲にも気をつけるべきだ。もしかすると君の横で八百屋の親父と壮絶な大根の値切り合戦を繰り広げている若奥様も、第壱陣家ゆかりの人そのものかもしれないのだから。  それほどまでに解体の影響と貴族と市民の融和は、激しいものであったのである。 3.現代を生きる三種の貴族たち  以上のように貴族というものは現代ではさほどの権能をもつものでもない。では、現代で貴族というものはどのようにして生きているのであろうか。  大まかに分けて、三種類ある。 ・権力象徴たらんとする貴族 ・誇り高き貴族の中の貴族 ・新しい世界と適応しようとする貴族≪ニューエイジ≫  一つ一つ、解説しよう。  まず一つに、権力象徴としての復権を目指す方向の貴族がいる。  人手足りず地方領主としての面を持つものもいるが、復権を目指す貴族のその多くはパブリック職としての面を強く持つ。その多くは文官・技官であるが、一部の軍閥は現代の騎士として公安職に就く者などもいる。  また「上に立つ貴族として民の生活を護る」とする貴族ものもまた、このタイプに分類される。  次に、他の貴族よりも強く、プライドと歴史に全てを賭けるタイプのノーブルがいる。  彼らはでは、如何様にしていきているか。やや誤解を恐れずに言うのであれば、彼らの大半は無職である。  彼らの大部分は、過去の遺産を食い潰すことで、今日の生命を継続させている。その生活は豪華絢爛であり、100年前から時を止めているようでもある。  それらのノーブルの一部は「我々は貴族として生き、貴族として時代の中に骨を埋め滅するのだ。」と誇り高く語り、その中の半数は後述の≪ニューエイジ≫を嫌い、非難し、あるものは蔑視する。  では、パブリックではなく、また孤独なまでに誇り高く死を待つわけでもない、大多数の貴族はどのようなものか。  答えは街にある。一部のものは商工業に、一部のものは農業に精を出すのだ。  特に前面立って商売に手を出し成功を収めようとするものは、ニューエイジとも呼ばれている。  このようなニューエイジは社交界の中では最も肩身が狭く、また、民衆の人気も厚い。  身もふたもないことを言ってしまえば、民衆は自分たちに利益をもたらすものをもっとも歓迎するのである。 4.駄文考察  以上のようにしておおまかにすれば3種の貴族が存在するわけだが、PCとしてする分には特定思想に凝り固まることは(PLが確信犯でもない限りは)避けたいところである。  と、言うよりは複合的であるというべきなのであろう。たとえば先に述べた若奥様は、民との融和貴族の面も、貴族として誇りを持って生きる(特に延命を図るわけではない)面の両面を持っている。  各自のPCがやりやすい貴族的スタイルを貫くのがもっとも良いのではないかと思える。