少女は……美しかった。 都の貴婦人のような美しさではない。 野生の……凛々しい狼のような、 吼える……雄雄しき獅子の如き、 駆ける……大空を舞う竜に通じる、そんな美しさだ。 誰が手入れしたわけでもあるまいにつやつやと光り輝く銀の髪。 陽に晒されてもなお白磁のように輝くきめ細やかな肌。 そして……闇夜にもひときわ爛々と紅く輝く獣めいた瞳。 ぼろぼろの布切れを纏うその姿は薄汚れていたが、 誇り高い狼や獅子や竜めいた気品を少女に与えていた。 女王。 そう女王だ。 そしてその女王の前に、卑小なる獲物がいる。 娘だ。 耳が鋭く尖った……エルフの娘。 笑む女王を前に、狩られる獲物はただ、がたがたと震えた。 女王が飛び掛る。 獲物が悲鳴をあげようとした喉に、女王が喰らいつく。 迸る声ごと、女王は妖精の喉を一息に噛み千切った。 熱い血が、女王の唇から滴り落ちる。 口腔の周りに纏わりついたそれをぺろりと舐めとり、薄く微笑う。 女王が視線を動かした。 にたり。 女王は恍惚とした笑みを浮かべた。 「―――――!」 目を剥いて飛び起きる。 毛布を跳ね除け、荒い息をつく。 からだには汗がびっしょりと浮いていた。 「…………夢…………か?」 竜とて眠れば夢を見る。幻獣の竜には眠りなどいらないのだが。 レディオンは皮肉っぽく微笑い、吹き込んでくる冷たい風に身を震わせた。 もう一度眠りにつこうと、からだを横たえ瞳を伏せる。 だが眠りの精霊はどこへ行ったのか、訪れる気配もしない。 レディオンは諦めて、嘆息した。 月夜の散策は嫌いではない。 だが人の身でうろつくには、外は暗すぎ、危なすぎた。 竜に戻れば話は別だろうが……。 月の出ているこの晩、夜とはいえ誰かに見咎められないとも限らない。 ――やれやれ……。 レディオンはまたうなだれ、所在なさげに瞳を揺らした。 人の身は寒すぎる。 揺れる瞳が、ふと祐一の姿を捉えた。 毛布に包まって、安らかに眠る祐一。 …………。 レディオンは悪戯っぽい微笑みを浮かべた。 夢……夢を見ている。 暖かくて……柔らかくて……。 ふにふにと心地よい……。 唇にかかる吐息が優しくて…… 「……ゆう……いち…………」 遠くから囁かれる呼び声がたまらなくて……。 触れる髪がさらさらとして……。 俺は…………。 異世界の者にして運命の破壊者らしい相沢祐一こと俺はひたすらにあせっていた。 目覚めは……至極爽快だった。 爽快だったんだ。 ふにふにと柔らかい肌は暖かくて心地よかったし、 囁かれる吐息も不快じゃない。 腕枕も銀色の髪を撫でるのも……嫌いじゃなかった。 さらにはこうして寝顔を見ればとても可愛い少女が俺の布団に潜り込んできてくれるなど……、 これをもってして爽快な朝と感じないならば、思春期の少年として何かが間違っていると言わざるをえまい。 もう一度言おう。 目覚めは……至極爽快だった。 爽快だったのだ。 抱かされた手が少女の胸に触れていなければ。 少女の唇が俺のそれのすぐ近くになければ。 腕枕と同時に頭を撫でる手がまるで少女をこちらに寄せているようでなければ。 そしてその少女がひたすら無頓着で半裸でさえなければ。 ついでに確認しておこう。 俺は17歳。 思春期まっさかりの健康でかつ正常な高校三年生である。 ……。 …………。 ………………朝である。 ……………………俺は健康な男子である。 …………………………目の前の女の子はとても可愛い。 ……………………。 ………………。 …………。 ……。 誰だロリコンなんて言ってる奴は? 二股野郎? 反応しないほうが男として駄目だろう。 変態? じゃあお前は美少女に布団に潜り込まれてもときめかないとそういうわけか? ……さて……議題を戻そう。 朝だ。 朝日はまぶしくて素晴らしい。 眠る俺の隣にはレディオンがいる。 はっきりいってあどけない寝顔はすごく可愛い。 寝ている間に潜り込んできたらしい。 それはいい。微笑ましい限りだ。 ちなみに俺は反応してしまっている。 これもまあいい。いち健康な男子として正常な反応を示せていることに喜びを覚えよう。 エクウス、ローレライ、シャイナさんはまだ寝ているようだ。 エクウスとシャイナさんはいいとしよう。 だがローレライ。彼女がが問題だ。 いままでの経験から彼女は秋子さん、またはそれ以上に注意を要する人物と断定している。 寝惚けた頭でも俺の状況を一瞬の内に理解する程度のことはやってのけそうだ。 そして彼女と秋子さんの違いは……彼女が……実はとても茶目っ気があって、他人の騒動を見て楽しむような性癖の持ち主らしいということだ。 ちょっと――どころか実はかなりのゴシップ好きと見ている。よほど暇だったのだろうか? 超人的なカンを持ったゴシップ好き……。 現在の俺にとってこれ以上の敵があるだろうか? そしてこっそり離れようにも……レディオンの手はがっちりと俺の服を握って離さない。 たかが少女の握力と侮るなかれこれが結構キツイ。 それもローレライを起こさないように慎重かつゆっくりと外すとなっては。 結論を言おう。 俺はだいぴんち、だ。 ……。 …………。 ………………。 もしもーし。神様聞こえますかー? ボクのお願い、聞いてください。ボクの、願いは……。 ……。 …………。 ………………くそっ、もう間違っても賽銭なんぞ入れないぞ! どんどーん、仏様ご在宅ですかー? 念仏なんかも唱えちゃったりするんで助けてくださーい。 ……。 …………。 ………………結論:この世に神も仏もあるもんか。 ばんばーん、悪魔さん暇ですかー? 魂なんて半分持ってけこの野郎ってな状況なんでレッツ契約! ……。 …………。 ………………この世には悪魔もいないらしい。平和で結構なことだ。 りんりーん、父さん母さんお元気ですか? あなた方の息子が今とってもぴんちです。 ……。 …………。 ………………役に立たんぞ父さん母さん! びりびーり、乙女コスモに超緊急アクセス、この状況を一瞬で解決しちゃうよーな解決案を即座に提示! ……。 …………。 ………………ふ……まあいい。 人格トリップしてまでの現実逃避はこのくらいにして……現実と向き合う勇気、持ってみようか。 さて……。 人生でベスト5に入りそうなほど脳をフル回転させながら、俺は必死で解決案を模索した。 ……。 …………。 ………………おお! よく考えればローレライより先にレディオンが起きれば万事解決ではないか! 幸いというか、レディオンはすぐそばにいる。 ちょっと揺すってやればすぐ目が覚めるだろう。 俺は早速実行に移すことにした。 ゆさゆさ……ゆさゆさ……ゆさゆさ……。 「う……むぅ……」 よし、いい感じだ! さらに揺らしてやろう。 ゆさゆさ……ゆさゆさ……ゆさゆさ……。 「ふ……あぁ…………」 レディオンの瞼がいやいやをするように歪み、目の端に涙が盛り上がる。 あくびをしたということはそろそろ目覚めるはず! もうちょっとだ。ふぁいとっ、だぜ俺! ゆさゆさ……ゆさゆさ……ゆさゆさ……。 「う…………む」 ようやくレディオンが半分だけだが目を開く。 寝惚けた顔のレディオンが寝惚け眼の上目遣いで俺を見つめた。 ぐあ……俺の心にクリティカルヒットだぞレディオン可愛すぎ! 内心悶えつつ俺は至極爽やかな笑顔でレディオンに言う。 「よぅ……おはよう」 「……………………………………………………おはよう」 かなり長いこと視界の焦点を外して、レディオンが言う。 「いい朝だな」 「……………………………………………………うむ」 「はっはっは」 「……………………………………………………」 「えーととりあえず離れてくれないか?」 「……………………………………………………嫌だ」 「え?」 「……………………………………………………わたしは眠い」 「そうか。心ゆくまでぐっすり寝てくれ」 「……………………………………………………寝心地がいい」 「だからって眠るなぁっ!」 「……………………………………………………五月蝿い」 「俺は起きたいんだけどな……」 「……………………………………………………祐一も寝ろ」 「あのな……」 俺は段々頭痛のしてきた頭を抑えながら、ため息をついた、と。 ……。 …………。 ………………。 神様……仏様……おまえら……そんなに俺が嫌いか? 悪魔さん……お前はどーしてそんなに仕事熱心? 父さん母さん……先立つ不幸をお許しください。 乙女コスモ……役にたたねぇ。 ……。 …………。 ………………。 「グッモーニン」 とりあえず手をあげて挨拶なんてしてみた。意味も無いが英語の挨拶をチョイスだ。 「グッモーニン♪」 向こうも真似をして挨拶を返してくる。ちょっと嬉しげとゆーか楽しげだ。うむ、ノリのいい人だな。 「いい朝ですねー」 にこにこと爽やかに俺が言う。 「そうだね」 くすくすと朗らかに返してくる。 「………………えーと……」 詰まった。何を話すべきだろうか? 「…………………………………………くす」 ローレライが小さく微笑う。 彼女が被った毛布から腕を伸ばしてレディオンを指し示す。 一瞬で冷や汗がびっしりと浮かんだ俺に、ローレライがにっこり囁く。その瞳はどことなく輝いていた。 「素敵すぎ…………くす」 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……。 夢……夢を見ていた 目覚めは……爽快だった 爽快で……気持ちよかった でも……俺は……動くことが出来なくて…… 何も出来ない自分が歯痒くて…… 俺は……ただ…… 流されるままに…… 「……くす♪?」 降伏するしかなかった…………。