ただでさえ遅咲きだった桜を散らすように、風の冷たい日だった。  賢治は、登校直後のわずかな時間だけ陽だまりになる自分の席に突っ伏している。  ようやくおろしたての制服になじんできた体が自分のものでなくなっているかのように重いが、だからといってこの時期活発になる睡魔に意識を渡すには精神に余裕がなさすぎる。  結局、昨夜はろくに眠れなかった。物理的に睡眠時間が足りないということもあったが、考えねばならないことがあまりに多すぎたせいで。  いくらなんでも。  真夜中に絶対に入っちゃいけない廃墟にいて、そこで見たものがよりにもよって巨大ロボット同士の殴り合いで。  しかも戦いの最中に、新たに出てきたロボットの操縦者として自分が選ばれて。  あげくのはてに助けたほうのロボットを操縦していたのがそう変わらない年頃の少年だというのは。  これはもう夢だったほうが色々と納得できるというもので――。  賢治の内心はまさに嵐のようであった。人格の中心となる意志を空っぽにしたまま、周辺ではさまざまな感情や思考が渦を巻いている。  ただし、嵐が過ぎ去れば青空が戻ってくるのかどうかは、神ならぬ身にはわからないことではあったけれど。  いつの間にか席がすべて埋まっている。ぐるぐると考えているうちに、ずいぶんと時間が経っていたらしい。  始業ベルとほぼ同時に、担任が入ってきた。いつもなら即座に静かになるはずのクラスメイトが、より一層騒いでいる。  仕方なしに身を起こすと、担任以外に見慣れない顔がもう一人。  風に流されるままだった長髪は首の後ろで綺麗に束ねられ、すらりと高く、均整がとれた体つきに、古典的ですらある学ランが異様に似合っている。鋭いとも冷たいとも取れる整った顔立ちに、それに相応しい油断のない視線。不思議と艶かしい曲線を描く手首から先。 「え?」  なかば反射的に漫画のように立ち上がって大声をあげなかっただけよしとしよう。どこかに残っていたらしい理性が内心でそう囁いた。 「神楽です、よろしく」  思いつめたような強い表情も、甘く、心臓の鼓動を支配するような声も。およそ服飾以外のすべてが記憶のままで。  なにより重要なことに――――賢治はやっと、昨夜出会った少年の名を知った。 ***  北には廃墟、南を向けば公園とは名ばかりの森林地帯。その隙間を縫うように広がる、坂だらけ曲がり角だらけの新興住宅地。  それらすべてを一望できるのが、この中学校の屋上という場所である。  高い金網によってある程度の安全が保証され、どうやって運んだのか謎とされている(まず間違いなくこの場で組み立てたのだろうが)木造のベンチが憩いの場を提供している。気候のいい時分には生徒でにぎわうというが、この季節の夕暮れといえばまだまだ冬の名残が強い。  それゆえにこの場所を指定したのだろう、と賢治は納得していた。  少し思い扉を開ければ、昼間の陽気はすでに消え、西の空はもう赤くなっている。部活の喧騒も聞こえてくるが、あまりに遠いそれはBGM以上の用を成していない。  極限作業サプリメントという触れ込みのゼリー飲料を片手に、神楽は大して面白くもなさそうに下界を見下ろしていた。  ただそれだけの光景が、まるで一幅の絵のように完成していて、他の何もかも割って入る余地がない。  綺麗な人は得だな、と賢治はなんとなく思った。そう背の低いほうでもないのに、大概の出会った人間から悪意なく「可愛い」と言われる自分の顔や体格を翻って見てみると、何やら悲しくなってくるので首を振って思考を切り替える。  そうやって見ている視線が強すぎたのか、こちらに手を上げて挨拶を返してくる。 「ぼけた顔してるな」 「……なんで?」  質問しなければならないことは多すぎた。多すぎたが、それゆえにこそ出てきた言葉は単純至極なものになる道理で。 「色々聞きたそうにしてたからな。こっちから出向いてやった」  ほんとに?と聞いた賢治に、半分は冗談だ、とさらりと答える。  口調は呑気とさえ言えるが、何かを悩んでいるような、何かに怒っているような険しい表情には何の変化もない。 「オレが自分の意志で出向いたわけじゃない。あと、お前のアドレスは調べておいた」  ま、関係ないかと首を振る。一人で完結されても困るなあ、と賢治は割と真剣に思う。 「まあわかりやすく昨夜の話から説明してやる。オレやお前が乗ってたロボットだが」 「だが?」 「実はオレにもよくわからん」  よっぽど不満げな顔をしていたのか、取り繕うように続ける。  いわく、あのロボットを「発掘機」とだけ呼んでいること。これまた「敵」とだけ呼んでいる何か(昨夜に戦っていたロボットもその仲間らしい)に反応して活動を始めること。神楽が代々ロボットとその操縦法を継いできた一族の人間であること。  今まで発見された5体の発掘機はすべて"評議会"の厳重な管理下にあること――。 「そこで問題は、だ」  一瞬、視界がぶれる。痛みで感覚が戻り、息苦しさでまた視界が歪んだ。  片腕で持ち上げられ、喉と頚動脈を指三本で押さえられている。背中が痛いのは入り口の壁に叩きつけられたから、か。 「お前の発掘機はどこにある?」  軽く握られ、こちらに向けられた右の拳がTVで見たどんな凶器よりずっと怖い。  表情に怒りや焦りはなく、ただ義務感に裏打ちされた意志が見えるだけで。  怖いのに、怖いはずなのに、怖くなければならないはずなのに。 「余裕だな」  息苦しさが少し軽くなったと思う間もあればこそ、また視界が白くなった。配線を切られたみたいに、手足から力が抜ける。  壁に縫い付けられでもしたように、打ち込まれた拳のせいで落下すらできない。口から出てきた音が、呼吸音であることすら信じられない。 「ぬか喜びさせる前に言っておくと。発掘機は人類同士の戦いに干渉しない。  それがたとえ操縦者の危機であっても、よほどのことがなければ助けに来たりはしない。  本当なら出てきてくれたほうがありがたいぐらいだが」  言い終わるタイミングより少し早く、同じ場所にもう一撃。胃液が口まで上るが、反射的に飲み下してしまう。 「ひょろい割に頑丈だな。それとも、それが賜宝か?  ……まあいい。もう一度聞くぞ?お前の発掘機はどこだ?」  ギフト、という言葉もわけがわからなかったが、知らない、と答えれば、こんどは脇腹に伸ばした指を打ち込まれる。  痛みはあるのに、そこに怒りも悲しみも湧かない。視界の揺らぎもない。力が強くなっているのもわかるのに、手足の痺れが来ない。  ち、という舌打ちの声が聞こえる。 「嘘をついてるわけでもない、か」  まあいいか、とまた首を振った。最初に受けた印象に修正が書き加えられていく。  割と荒っぽく手を離され、悪かったな、と心底どうでもよさそうに告げられた。多分、心情的には心底どうでもよかったのだ。  何か感情的になる理由なんかこれっぽっちもなくて、話を聞くよりぶん殴って情報を聞き出したほうが早いと思っていただけで。 「ろくでもない……」 「悪かったって言ってるだろ?……しかし、リンクもないとなると……」  あきれたようなあきらめたようなため息が神楽の口からひとつ。 「まあ、いい。どうせオレには関係のない話だ。関係のない話だが、今後は行動に気をつけろ。何しろ今のお前は世界レベルのVIPだ」  別れ際にはじゃあな、の一言だけ。敵対的といってもいいほどの無感情ぶりだった。  実は、ひとつ嘘をついている。どこにあのロボットがあるのか、まったく知らないわけではない。  見えないし触れないし、周囲に影響を及ぼしているようにも思えない。  だが確実に、「ここ」にいる。虹を見るように、文字通りに雲をつかむように。とらえどころも実態もなく、それでも、間違いなく。 「どう言えばいいかわからないしなあ……」  それにしても。あれだけ痛めつけられて高圧的かつ一方的に物を言われて。あげくに自分自身はどうでもいいように扱われたのに。 「僕、へんたい……?」  それでも嫌にならないのはなんでだろう?